10 abril 2023

As limitações de um grupo

「ヤマギシズムの本質を探る」(『ボロと水』第1号)に掲載された鶴見俊輔氏の発言から。
鶴見:「集団には集団の限界がある。集団は自然に集団の暴力性ってのを持ちやすいんだ。つまり強制するっていうかな。集団の多数による強制って、出ると思う。そうするとね、考え方の枠が決まっちゃうの。ちょっと違う考え方をしようとする人間を、何となく肘を押さえる形になって危ないんだ。それはね、その集団のいき方は間違いだっていうふうなことをいい得る強い人間をつくらなくなってしまうわけよ。だから集団だけに固執するとすればよ、だんだんとより多くの集団である国家に閉じ込められちゃってね、国家が「中国と戦争しよう。これが自由のためだ!」といえばね、集団だけに慣らされた人間はね、山岸会員であっても、のこのこと一緒にくっついていくような、去勢された人間になっちゃう危険性がある。」



W:「でも個人の意志が尊重されればね、集団であっても別にかまわないと思う。」
鶴見:「そのところは、とても、非常に難かしいねえ—-」
「集団は集団で暮らしている中に限界があるので、個人でなければやっていけないような、つまり、集団から離しちゃう個人というのを、繰り返しつくって、個人でも立っていけるような人間っていうのを、繰り返し突き放してやっていかなきゃ—-。春日山でしか生きられないように人間になったら、危ないわね。これは結局ね、日本の政府に飼い馴らされちゃう。」
「だから個人にも限界があるわけ。集団にも限界がある。そういうふうに両義的にとらえて欲しいんだな—-。」
「だから原則はいいんだ。このテキスト(『ヤマギシズム社会の実態』)に書いてある限りは原則ってあるんだ。だが実際問題の運営でいうとね、研鑽会でもさ、やっぱり多数の暴力っていうのか、やっぱり、各所に現れてきているね。」

・「研鑽のよって立つところ」
鶴見:「ひとりで生きられない人間が、こう、たくさん寄るとねえ、そこに集団の暴力性が出てきますねえ----。」
「そういう人間ってのはねえ、他の個人より多く狂信的でねえ、「この意見は決まった。正しいんだ!なぜ分らんのか」と、いたけだかになる形の人が多いんですよ、それは。威張り返るってのは大体そうですねえ。自分の考えを自分でやるという、こう考える人間ってのはねえ、そういうことを普通はしないもんなんですがねえ----。(中略)
 集団が一枚に固まっちゃったら、もう集団そのものが自滅しますよ。そういう問題があるわけ。だから、集団をつくろうと思ったらどうしても、こう、個に返すということを、繰返し繰返し突き放してやっていかなきゃあ----。そうしないと普通、集団の自己陶酔が始まるんですよ。」
(「ヤマギシズムの本質を探る」『ボロと水』第1号、ヤマギシズム出版社、1971より)】

Entrevistador: "Explorando a essência do Yamagishismo" (primeira edição de "Boro to Mizu"), com base nos comentários de Toshio Tsurumi.

小才のきくものは使いものにならない

    「小才のきくものは使いものにならない」ということわざは、わずかな才能しかない人物が、大きな仕事を任されると失敗することを表しています。このことわざは、才能がある人物には、その才能に合った仕事を任せるべきだという意味もあります。

    「小才のきくものは使いものにならない」という言葉は、能力があるが、その能力があまり高くない人のことを指しています。つまり、能力が低い人が何かをするよりも、能力が高くてものごとを成し遂げることができる人が役に立つということです。

    しかし、人間の能力には様々な種類があり、ある分野で小才であっても、他の分野で大きな才能を持っていることもあります。また、小才でもコツコツと努力していれば、大きな成果を挙げることもできます。

    したがって、「小才のきくものは使いものにならない」という言葉は、あくまで一面的な見方であり、人の能力を決定するためには、様々な要素を考慮する必要があります。

  1. Sentido do provérbio:

    • Ele indica que uma pessoa com apenas um talento limitado ou superficial pode até parecer hábil, mas quando recebe uma tarefa importante, tende a fracassar.

    • A mensagem é que cada pessoa deve ser encarregada de trabalhos compatíveis com o seu verdadeiro nível de capacidade.

  2. Interpretação mais ampla:

    • “小才のきくもの” refere-se a alguém que tem alguma habilidade, mas não é realmente excepcional.

    • O provérbio sugere que é melhor confiar grandes responsabilidades a pessoas de grande talento ou visão, e não àquelas que só demonstram pequenas espertezas ou habilidades superficiais.

  3. Visão crítica:

    • O texto, porém, ressalta que essa é uma visão limitada.

    • Nem sempre quem tem “pequeno talento” é inútil — as habilidades humanas são diversas: alguém pode ser modesto em uma área e brilhante em outra.

    • Além disso, esforço e persistência podem levar até mesmo alguém de talento modesto a alcançar grandes resultados.

  4. Conclusão:

    • Portanto, o provérbio expressa apenas um ponto de vista parcial.

    • Para avaliar a verdadeira capacidade de uma pessoa, é preciso considerar vários aspectos, e não apenas o tamanho aparente de seu talento.