先日、アズワンセミナーに参加したことのある人と話してたら「本質の科学的探究」の「科学的」というのがよくわからない。理科の実験とか試験とか目に見える形になるとわかりやすいんだけど、、、、、、、、、って
確かに自分の中で何が起こっているかとか心の状態は目に見えるものではないからね。
サイエンズスクールの自分を見るためのコースの中であった「見て思う」の分析。
「見て」→→→→「思う」。この→→→→は時間にすると0.5秒らしい。この0.5秒の間に自分の中で何が起こっているか?
目には見えないけど何かがあるはずだしこれを科学的に(論理的に実証的に系統立って)内観することは出来るんじゃないかな。
ここを観察しないから「見たこと」と「思ったこと」が直結して、結果的に話し合いのできない状態になっているのだろう。
セミナーやコースは「科学的探究」って感じするんだけどな。科学は観察から。
「見て」→→→→「思う」。この→→→→は時間にすると0.5秒らしい。この0.5秒の間に自分の中で何が起こっているか?
目には見えないけど何かがあるはずだしこれを科学的に(論理的に実証的に系統立って)内観することは出来るんじゃないかな。
ここを観察しないから「見たこと」と「思ったこと」が直結して、結果的に話し合いのできない状態になっているのだろう。
セミナーやコースは「科学的探究」って感じするんだけどな。科学は観察から。
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